台湾の平渓鉄道


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001 2016/05/02(月) 23:07:24 ID:EQJSvdgIyI
ノスタルジックでいいですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=BOeZzXL2TW8

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021 2017/06/09(金) 01:14:09 ID:FHZZESu4UU
その後、日清戦争を経て台湾が日本統治下に入ると、日本は台湾の経営のためには鉄道整備が欠かせないと考え、1895年(明治28年)6月10日に「台湾鉄道線区司令部」を、8月25日には「臨時台湾鉄道隊」を設置して既存の鉄道の管理・輸送を担当させ
台湾統治の基礎が固まると、1899年(明治32年)には「総督府鉄道部官制」が公布されて鉄道が総督府鉄道部の管轄となり、それまで軍用中心であった鉄道を次第に民間輸送へも開放するようになり、本数も日4往復へ増発された。そして総督府は続いて台湾縦貫鉄道の建設に取り掛かり、『既存の施設を抜本的に改修』したうえで、1908年(明治41年)4月に縦貫線の基隆 - 高雄間404.2kmを全通させるに至った。
なお、軽便鉄道規格の製糖鉄道や森林鉄道も旅客営業を実施し、最初の営業が新営庄(現新営)−塩水港(現塩水)間で始まったのを皮切りに、台湾西部を中心に路線網を築いていった。

中華民国時代
太平洋戦争(大東亜戦争)で1945年に日本が敗北すると、台湾は中華民国(南京国民政府)の統治下に入り、台湾総督府鉄道も中華民国当局によって接収され、台湾鉄路管理局に組織改編された。その後、国民政府は国共内戦の敗北で中国大陸を中国共産党に奪われ、1949年に中央政府を台湾へ移転せざるを得なくなった。
1980年2月に北廻線が完成して台東線と花蓮新駅(現 花蓮駅)で接続、1982年にはその台東線が1067mmに改軌されて北廻線との直通が実現し、更に1991年には南廻線が開通して「環島鉄路」(台湾一周鉄道)がようやく完成した。

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