満州鉄道/樺太鉄道
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001 2017/02/24(金) 03:53:27 ID:387WBM2eLI
016 2017/06/07(水) 20:46:35 ID:Vy66nfW4Uc
シベリア鉄道建設をロシア帝国は1891年2月に正式決定し、5月よりその建設に着工した。
ロシアは、日清戦争(1894年7月 - 1895年3月)直後の日本による遼東半島の領有を三国干渉(1895年4月23日)によって阻止しており、その見返りとして清国の李鴻章より満洲北部の鉄道敷設権を得ることに成功していた(露清密約、1896年6月3日)。
その中でロシアは、建設困難なアムール川沿いの路線ではなく、短絡線としてチタから満洲北部を横断しウラジオストクに至る鉄道の敷設権を獲得し、1896年12月、露清銀行によって「中国東方鉄道株式会社」(ロシア語略称:КВЖД)、清朝側の名称では「大清東省鉄路」という鉄道会社が設立された。
経営の最高機関は、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに置かれた理事会で、ロシア大蔵省が理事を任命した。
このように、表向きは露清合弁であったが、ロシアの発言権が強く、清朝は経営に直接関与できなかった。
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017 2017/06/07(水) 20:51:16 ID:Vy66nfW4Uc
日本への一部譲渡
最後の大興安嶺トンネルが完成し、シベリア鉄道と完全に連結したのは1904年2月、日露戦争勃発直前であった。
その後日露戦争(1904年2月 - 1905年9月)が勃発し、日露戦争でロシアが敗北した後の1905年9月5日、ポーツマス条約により長春以南の南満洲支線は日本に譲渡され南満州鉄道(満鉄)となった。
1911年、辛亥革命によって中華民国が成立しても、ロシアによる東清鉄道の利権は継承された。
満洲国への売却
1932年に満洲国が成立すると、ソ連は満洲国を承認しなかったものの、東清鉄道は事実上の満洲国とソ連の合弁となり、1933年には満洲国交通部がその名称を北満鉄路に変更した。日本はソ連との衝突を避けるため鉄道の売却を提案したが両者の間で長らく価格で折り合いが付かず、ようやく1935年3月になってソ連は満州国と北満鉄道讓渡協定を結んで北満鉄路全線の利権を満洲国に売却し、満洲から撤退した。
こうして旧・東清鉄道は満洲国有鉄道となり、経営は満鉄に委託された。また、軌間も1937年まではロシア建設時の広軌(1,520mm)であったが、満鉄に合わせて標準軌(1,435mm)に改軌された。
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018 2017/06/07(水) 21:04:50 ID:Vy66nfW4Uc
しかし1922年頃から始まった「利権回収運動」により、それまで親日的であった現地政権・奉天軍閥が離反、
日本に対抗し並行線の建設に着手し、満鉄を兵糧攻めとした。日本の権益確保を目指す関東軍は、1928年に張作霖爆殺事件を引き起こし恫喝するが、ますます奉天軍閥の態度が強硬となったため、1931年に奉天軍閥に冤罪をかぶせて満州事変を引き起こし、奉天軍閥を潰滅させた。
その後空白となった満州の処理として傀儡政権樹立が行われ、1932年3月1日に満州国が建国。満州の政権として奉天軍閥の権益を継承することとなった。
中国長春鉄路
1945年8月、ソ連が対日参戦し満洲に侵攻すると、北満鉄路および南満洲鉄道を接収し、これらを併せて中国長春鉄路とした。
また同月、ソ連は蒋介石政権と中ソ友好同盟条約を結び、同鉄道を30年間共同使用することを認めさせた。
しかし1949年共産党政権が成立すると、その翌年に同盟条約を改訂し(中ソ友好同盟相互援助条約)、
その付属協定「長春鉄道・旅順・大連協定」により、長春鉄道の中国側への返還が決定された。
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019 2017/06/08(木) 23:19:32 ID:Vy66nfW4Uc
>>15補足
最初にロシアからシベリアに侵入したのは正規ロシア軍ではなく、ウラルの西側のカマ川やチュソヴァヤ川流域を領地としていた
ストロガノフという商人の私兵である。
当時すでに枯渇していたウラル以西の毛皮資源に替わる、豊富な毛皮資源を求めたためだった。
そしてシビル・ハン国が1572年に毛皮の朝貢を拒否したことでロシア・ツァーリ国のシベリア侵攻は決定的となった。
この時のロシア人私兵はコサックと呼ばれ、これらを率いたコサックの首長イェルマークによりシベリア征服が進められた。
イェルマークは1578年10月に東進を開始し、シビル・ハン国を攻撃、イェルマーク自身は途中戦死するものの、ついに1598年シビル・ハン国は滅亡した。その後ロシア人は東進を続け、1636年にはコサックのイヴァン・モスクヴィチンがオホーツク海へ至り、ロシア人はシベリア横断を達成した。これ以後シベリアはロシア人の植民地となった。
ロシア人が短期間で太平洋にまで至ることができた理由には、
・シベリアの大河の支流から支流を伝うことで大きな地形的障害なく東へ向かうことができたこと、
・途中にロシア人に激しく抵抗して前進を押しとどめる強力な国家や民族がなかったこと、
・毛皮交易による利益に対してロシア人たちが貪欲だったことが大きい。
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020 2017/06/12(月) 11:22:54 ID:BlojPRK3ik
今使っている、日本が改軌した旧満鉄の路線の軌道は標準軌ですか?
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021 2017/06/12(月) 21:23:58 ID:zPaSzScpO.
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